広島地方裁判所 昭和38年(ヨ)233号 判決 1964年4月28日
債権者 川島毅
債務者 三菱造船株式会社
主文
本件仮処分申請を却下する。
訴訟費用は債権者の負担とする。
事実
債権者代理人は、「債務者が債権者に対し昭和三八年五月二二日になした解雇の意思表示の効力を停止する。債務者は債権者が工場に立入つて就労し並びに組合活動することを妨害してはならない。債務者は債権者に対し昭和三八年五月二二日以降、債権者から債務者に対する解雇無効確認請求事件の本案判決が確定するまで毎月二〇日限り金一七、一八三円の金員を支払え。」との裁判を求め、申請理由として、次のように述べた。
一、債権者は、昭和三〇年四月頃から債務者会社に勤務するようになり、昭和三五年五月頃から、同会社の広島精機製作所第二工作課機械係に配属されていたところ、債務者は、昭和三八年五月二二日、債権者に就業規則第五九条第一号にいわゆる正当な理由なしに一四日以上無断欠勤をしたときに該当する事実があつたとして、債権者を解雇する旨の意思表示をなした。
二、ところが、債権者が右解雇通知以前に欠勤したのは、昭和三八年五月一〇日、同年五月一一日(以上は病気のため)、同年五月一三日の僅か三日間に過ぎないばかりか、当時債権者は権利としてとりうる年次有給休暇の日数がなお四日間存在していたので、債権者の属する職場における確立された慣習からすれば、前記債権者の欠勤日はいずれも有給休暇によつて処理せられるべきであつて、無届欠勤となる理由がない。なお、債権者は右欠勤のうち五月一〇日を有給休暇として取扱われたき旨連絡しており、五月一一日については、当日の朝病気のため欠勤する旨を届出たので、五月一〇日、五月一一日とも無断欠勤として取扱われるべきものではないし、五月一三日の欠勤は全日本造船労働組合三菱造船支部広島精機分会(以下単に労働組合と称す)の指令により、当時スト決行中であつたラジオ中国の労働組合に応援のため出動し、右欠勤した前日の五月一二日から一三日にかけて徹夜で応援をなしたものであり、徹夜ピケの場合は、正当な組合運動のための欠勤として、いわゆる組合離席として取扱う方針が労働組合から言明されていたものであるから、右欠勤については労働組合において責任を負うべきもので、債権者に責任がないのであるから五月一三日についても無断欠勤とされるべきものではない。よつて、債務者の前記解雇の意思表示は無効である。
三、ただ、債権者は、昭和三八年一月下旬頃から慢性胃炎、肝臓病、流行性感冒のため起居の自由のない状態で病床に臥し、同年二月三日迄はその旨の診断書を債務者に提出して欠勤していたが、右期間経過後をもなお引き続いて同年四月下旬頃までは、右病気により欠勤していたのに、身体の不自由から正規の診断書を提出しないままになつていたところ、これを理由に、昭和三八年四月六日、債務者から諭旨退職処分を受けたことがある。しかし、右欠勤については、同一職場の友人木村要を通じて、所属組長野坂光雄に対しその旨届出ており、加うるに、債権者には当時四日の有給休暇が残存しており、もともと、有給休暇について、同職場における確立された慣習からすれば、事後届出によつても可とされていたものであり、就業規則によつても、病気その他止むをえぬ事由によつて欠勤する場合には、事後届出によつても許される旨規定(第三〇条)されているのであるから、前記処分は不当である。
かりに、右処分が正当なりとするも、右処分には、今後理由なき無届欠勤があつてはならないとの条件のもとに、一年間執行が猶予されていたものであるから、執行を猶予された右諭旨退職処分前の欠勤日は、今回の解雇事由に通算されるべきものではない。よつて、右処分後に解雇事由となる「正当な理由なしに無断欠勤連続一四日以上に及んだ」こともないばかりか、債権者が欠勤した前記三日間、すなわち、五月一〇日、五月一一日、五月一三日は、前記のとおりいずれも無断欠勤として取扱われるべきものではないから、右執行猶予が取消されて、解雇されることはない。
かりに、右条件に該当する事実があつて、その執行猶予が取消されたとしても、債権者は懲戒解雇にされるべきではなく諭旨退職にされるべきものである。
四、以上のとおり、債権者に解雇事由たる事実が認められないので、債務者の債権者に対する解雇は無効であるから、債権者は依然として債務者に対し雇傭契約に基く権利を有するところ、従来、債権者は賃金として毎月二〇日に一七、一八三円の手取額を受領していたものであり、且つ債務者からの賃金を除いて他に格別の収入がなく、その賃金を受けなければ、日々の生活の途を失い、更に、現在債権者は右解雇によつて仕事に就労できないのは勿論、職場において組合活動に参加することもできない状態であり、このような状態では、債権者は著しい損害を受けることが明らかであるので、これを避けるため本案判決の確定に先立ち、前記のごとき仮処分を求める必要がある。よつて本件仮処分申請に及んだのである。
抗弁に対する答弁並びに再抗弁として、次のように述べた。
一、債務者が主張するように、有給休暇のうち三日間については、債務者と労働組合との間に夏期連休に含ましめるとの協定が成立したとの事実は不知。
かりに、右のごとき趣旨の協定が成立しているとしても、右協定は労働者に対し、実質的に有給休暇の請求時季を制約するなど、その内容からして労働基準法に違反し無効なものである。
かりに、右のごとき内容の協定が有効だとしても、右協定は単に従業員の保健対策の見地に出ずるもので、便宜的な措置であることは明らかであるから、個々の労働者に対しそのとりうる時季について拘束を加える趣旨ではない。従つて、自己の健康状況を考慮して特定の労働者が他の時季を有給休暇として請求した場合、使用者はこれを拒みえないし、且つ未だ費消してもいない有給休暇が前記協定の存することのみで、その権利が消滅することはないのである。よつて、債権者の有給休暇は四日であり、慣例に従い債権者の前記三日の欠勤日にあてられるべきものである。
二、かりに、債務者が主張するように債権者の有給休暇が当時一日しか残つていなかつたとしても、次のような事情により解雇されるべきものではない。
すなわち、債権者の前記欠勤日のうち、五月一〇日、五月一一日について、債権者は病気のため臥床していたので、五月一一日の朝友人を通じて所属の組長に対し病気のため出勤できない旨を届出たから、前記の五月一一日は当然病気欠勤とされるべきものであり、五月一〇日についても、慣例から言えば同じ様に病気欠勤として取扱われるべきである。かりに、右五月一〇日について、事後届出のために右のように病気欠勤としての取扱いができないとしても、残存していた債権者の唯一の有給休暇をこれにあてられるべきことは、債権者以外の全従業員に対して自明の理として適用されてきたもので、債権者のみが、このような職場における慣例から、除外されなければならない理由がないから、無断欠勤とはならないものである。
また、五月一三日の欠勤については、既に主張のように、組合離席として取扱われる場合であることは勿論、もともと、債権者としては何らの責任がなく、その全責任を労働組合において負担すべきものであるから、これを理由に債権者が無断欠勤として取扱われるべきでないことは明らかである。
債務者代理人は、主文と同旨の判決を求め、答弁として、
一、申請理由のうち第一項の事実は認める。
二、同第二、三、四項の事実のうち、債権者がその主張の日に欠勤したこと、そのうち五月一一日を債務者が有給休暇として処理したこと、及び欠勤届につき、債権者が主張するような従業員就業規則の定めのあることは認める、五月一三日の欠勤事由たる事実は不知、その余の事実は否認する。
と述べ、
抗弁として、
一、債務者が債権者を昭和三八年五月二二日諭旨退職処分にしたのは、次のような事由による。
債務者は、債権者が昭和三八年二月四日から四月六日までの間に五四日間に及ぶ無断欠勤をしたので、労働協約第二九条により賞罰委員会にはかり、その結果債権者を特に処分しないこととしたが、ただ債権者の従来の勤務態度を注意し、同人に更生すべき最後の機会を与えるため、同年四月六日、債権者に対し「今後一年以内に理由なき事故欠勤、無断欠勤をしてはならない。もしこれに違反したときは直ちに解雇する。」等を厳重に警告したところ、債権者はこれを了承した。しかるに、債権者は右警告後である昭和三八年五月一〇日、五月一一日、五月一三日の三日間を欠勤し、そのうち五月一一日については、当日病気のため有給休暇にして欲しい旨の連絡によつて、当時債権者には一日の有給休暇が残存していたので、債務者は同日を有給休暇として処理したのであるが、その他の欠勤日については、債権者から何らの連絡もなく、無届欠勤となつたものである。従つて、債務者は、債権者が右のごとく五月一〇日と五月一三日の両日無断欠勤したので、前記警告に従い、昭和三八年五月二二日、債権者を諭旨退職にしたものである。
右処分は、もともと従業員就業規則第五九条第一号に基くものであるが、懲戒解雇ではなく、退職慰労金等を支給するなど、その内容は従業員就業規則第五七条第二項及び労働協約第三二条「覚書」第一号に基く諭旨退職処分である。
二、なお、昭和三八年度の債権者の有給休暇日数は一八日であるが、債務者と労働組合との間で、昭和三七年一二月一二日従業員の保健対策として年次有給休暇のうち三日を七月二八日から八月一日までの夏期連休五日間に充当し、従業員全員が集団的に使用する旨の協定が成立しているので、昭和三八年度の債権者の有給休暇の日数は一五日であり、同年五月七日まで債権者がそのうち一四日間を費消しているので、同年五月八日現在で、債権者の残存有給休暇の日数は一日であると述べた。
(疎明省略)
理由
一、申請理由第一項の事実は当事者間に争いがない。
二、債務者が昭和三八年五月二二日債権者に対してなしたその主張の懲戒処分の根拠たるその主張のような就業規則所定の懲戒事由の存否を検討するにあたり、先ず債権者が昭和三八年四月六日債務者から諭旨退職の警告を受けるに至つた経緯並びにその内容を判断する。
成立に争いのない乙第一号証、同第五号証並びに証人檜垣保(第一、二回)、同野坂光雄、同堀尾政之、同吉村節の各証言によれば、債権者は、昭和三五年五月、債務者会社の長崎造船所から広島の精機製作所に転勤となり、その後約一年位は真面目に勤務してきたのであるが、昭和三六年六月頃から少しずつ会社を欠勤するようになり、同年一一月には欠勤日が一〇日を超える程度になり、翌三七年一月はその年度に与えられる有給休暇を使用するため、債権者の事故欠勤はなかつたのであるが、翌二月頃から毎月、病気欠勤或いは事故欠勤が殆んど一〇日を下らなかつた状態であつたこと、以上の昭和三六年六月頃から昭和三七年九月までの間における債権者の勤怠状況をふりかえると、病気欠勤が一五〇日、事故欠勤が四九日にも達し、一方工場においては、自ら操作している機械のそばを離れるなど現場における勤務ぶりも良くなかつたため、債務者は所属組長の意見を聞き、賞罰委員会に計つたうえ、右のごとき出勤常ならず、勤務態度が芳しくないことのほか、欠勤につき所定の手続を経ないなどの就業規則違反を理由に、昭和三七年一〇月一二日、債権者を三等減給の処分(一日平均賃金の三〇パーセントを控除)としたこと、ところが、債権者にはその後も改悛の情が認められず、依然として病気欠勤、事故欠勤を続け、特に昭和三八年二月四日からは同年三月二二日現在で引き続いて二〇日間余り無断欠勤となり(その後も引続き無断欠勤を続けた為結果的には昭和三八年二月四日から四月六日まで無断欠勤五四日に達したこと)、このように無断欠勤が連続して一四日以上にも及ぶときは、債務者会社の従業員就業規則第五九条第一項の解雇事由に該当するので、債務者は、昭和三八年三月二二日、その規定の趣旨に照らして第二回目の賞罰委員会に付したが結論がでず、同年四月二日に再び続行され、その委員会において、債務者側は、従来現場の組長が何回も本人の勤怠振りを注意したのに拘らず、何らの反省の態度を示さず、事実上更生を期待できない状態にあると考えていたので、従業員就業規則により債権者を懲戒解雇にすべきであるとの意見を提案したこと、ところが、組合委員からは、本人がまだ若いし将来もあることだから、懲戒解雇ではなく、一等を減じて諭旨退職処分にして貰いたい、そして諭旨退職といつても直ちに実行するのではなく、今後一年間だけ本人の改悛ないし更生によるその後の勤務ぶりに期待するから、今回は何ら処分しないことにし、ただ今後一年間に無断欠勤或いは事故欠勤するような場合には、即日諭旨退職にするということで、もう一度だけ債権者に更生する機会を与えてもらいたいという意見が強く提案されたので、債務者側は右労働組合の意見を全面的にとり入れて、当日は処分しないことにするが、今後無断欠勤があつた場合は、そのときこそ債権者を即時に諭旨退職処分にすることを決定し、昭和三八年四月六日、所属の第二工作課長を通じてその旨を口頭で債権者に対し厳重に警告すると同時に、今後欠勤する場合には、理由をふして必ず事前に届け出ること等を特に申し渡し、債権者もこれを了承して、今後心を入れかえて仕事に励むことを誓い、債務者に対しその趣旨の始末書を提出したことを認めることができる。右認定に反する証人木村要、同山田忠文の各証言並びに債権者本人尋問の結果は前掲各証拠に対比してたやすく措信することができない。他に右認定を覆すに足りる証拠はない。
三、次に、債権者が欠勤した当時における年次有給休暇の残日数について検討する。
成立に争いのない乙第一号証、同第二号証の二並びに証人吉村節、同檜垣保(第一、二回)の各証言とこれにより真正に成立したと認められる乙第六号証及び弁論の全趣旨によれば、債権者の昭和三八年度の有給休暇の日数は、労働基準法(入社からの経験年数等)からいけば一三日を与えれば足りるのに、債務者としてはこれより五日を超える一八日を昭和三八年度に与えたのであるが、昭和三七年一二月一二日、従来の慣行どおり、債務者と労働組合との間に、労働協約第七条により昭和三八年度の休日休暇に関する協定を締結し、右協定により会社従業員の保健対策(健康管理)のため、夏期連休として七月二八日の日曜日から、七月二九日は三月二一日の休日と振りかえ、更に、年次有給休暇のうち三日間を七月三〇日から八月一日までにあてることとして、以上七月二八日から八月一日まで全従業員が集団的に且つ通算五日間を夏期連休として使用することになつたので、右の協定に基き有給休暇の時季につき制約を受ける三日を除けば、昭和三八年に債権者に対し与えられた有給休暇の日数は一五日であり、五月七日までに債権者が一四日を費消したので、五月八日現在で、債権者の有給休暇の日数は一日であつたことを認めることができ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
四、債権者は、右協定が労働基準法に違反し無効であると主張し、前記三日を加え、債権者の有給休暇の残日数は当時四日であつた旨主張するけれども、およそ、労働基準法に基き与えられるべき有給休暇は労働者の意思によつて自由にその時季を選択しうるのであるが、時季の制約も労働者の自由意思が十分尊重され、且つ労働者にとつて積極的に利益となるような場合ならば、有給休暇の時季を制約する協定も必ずしも無効と解すべきでないところ、前掲各証拠によれば、もともと右協定は従来の慣行に従い、労働組合の要請によつて締結するに至つたこと、その前提として、労働組合の執行部が先ず夏期休暇について、前記のごとき内容の事項を提案し、これを総会に次ぐ労働組合の議決機関である代議員会にはかり、一部修正のうえ、代議員会の承認をえた正規の手続によつて、労働組合としての意思が決定され、これにより労働組合が債務者に申入れて協定が成立するに至つたことを認めることができ、これは有給休暇の時季につき、労働者の意思によつて決定するという基本原則の上に立脚されたものというべく、かつ協定の意図するところが、前掲各証拠によれば、労働者の保健衛生という妥当な目的であればなおさらのこと、無効と解すべき合理的根拠がないものといわなければならない。従つて、右協定により、従業員の有給休暇のうち三日は特別な事情が認められない限り、その請求する時季について全従業員を拘束するものであるが、債権者が明示的に他の時季を有給休暇として請求したことを認めることができない本件においては、債権者の右の主張は理由がない。
五、以上検討したように、昭和三八年五月八日現在における債権者の年次有給休暇の残日数が一日であることを前提として、以下、前記警告後に、債権者が無断欠勤をしたかどうかを判断する。
債権者が、昭和三八年五月一〇日、五月一一日、五月一三日の三日を欠勤したこと、及び右欠勤のうち五月一一日について、債務者が有給休暇として処理したことは当事者間に争いがなく、成立に争いのない乙第一号証並びに証人檜垣保(第一、二回)、同野坂光雄の各証言によれば、債権者は五月一〇日を欠勤した後、五月一一日の朝になつて、友人木村要を通じ所属の野坂組長に対し、体の具合が悪いから休暇にして欲しい旨の連絡をしたこと、債務者は、債権者に当時一日の有給休暇しかないうえに、五月一〇日のことついては何らふれられなかつたこと、及び届出が五月一一日の事後のことでもあるから、右五月一〇日の欠勤は事後届出となり、債権者に対しては、特に、昭和三八月四月六日の警告の際、従業員就業規則並びに慣例の如何を問わず、事後届出を許さず、必ず事前に欠勤する旨を届出ること、万一事後届出のときは、事前に届出ができなかつた正当な理由を同時に連絡すべきことを申し渡していたので、右五月一〇日の事後届出は債権者に対して許されないのであるから、病気欠勤として取扱うことができず、債務者がこれを無断欠勤として処理したことを認めることができる。右認定に反する証人木村要の証言並びに債権者本人尋問の結果は前掲各証拠と対比してたやすく措信することができない。
更に、五月一三日については、事前に欠勤する旨の届出をしたことを認めるに足りる証拠はなく、この点につき債権者は組合離席として取扱われるべき場合であつて、無断欠勤とならないと主張するところである。
成立に争いのない乙第二号証の四並びに証人森崎保正、同吉村節の各証言によれば、広島県労働組合会議の要請で、労働組合がこれに応ずることとなり、その命を受けた青年部長田中が、組合員に対しラジオ中国へ応援の要請をした当初には、参加者に対し組合離席としては取扱われないこと、従つて、有給休暇が残存している者のみが参加するようにとの話があつたこと、労働組合の書記長吉村が右青年部長に命令するときには、特に債権者は以前会社から警告を受け、欠勤について相当慎重にしなければならないので、除外して欲しい旨を伝言したこと、しかし、その後ラジオ中国へ応援に行つてから、同所で応援中、徹夜ピケをやつた場合、習日会社へ出勤しても作業をすることは殆んど不可能であるから、組合離席として取扱うべきであるとの意見が出て、労働組合の執行部の役員もその趣旨を考慮するとの答弁があつたこと、しかし、まだ最終的に決定したものではなく、組合の執行部にはかつて、検討ないし善処するという程度のものであつたことを認めることができ、右認定に反する証人久保田幸宏の証言並びに債権者本人尋問の結果は前掲各証拠に照してたやすく措信することができず、更に前記証拠によれば、組合離席とは、従業員が就業時間中に組合活動に従事する場合、労働組合の方からあらかじめ債務者に対し申し入れて会社の許可を得たのち、当該組合員が所属組長のところへ離席届を提出するなど所定の手続を経なければ、組合離席の取扱いが認められないのであつて、債権者の場合、右のごとき所定の離席手続が何らなされていない以上、債権者が組合離席として取扱われなかつたことは至極当然のことであり、たとい、離席手続を怠つた責任が労働組合にあつたとしても、このことによつて当然債権者が無断欠勤として取扱われるべきでないとは言えないのである。
しからば、残存していた債権者の唯一の有給休暇が前記五月一一日の欠勤のために充当され、その他有給休暇は残存していないし、特に、債権者に対し、前認定のとおり、欠勤について事後届出を許していなかつたのであるから、債権者の前記五月一〇日、五月一三日の両欠勤日はいずれも無断欠勤として処理されても止むをえなかつたといわなければならない。
六、叙上認定のとおり、債権者は、昭和三八年四月六日、債務者の警告にも拘らず、その後、同年五月一〇日、五月一三日の両日について、無断欠勤をした以上、従業員就業規則第五九条第一号所定の事由に該当し、これによつて、債務者が直ちに債権者に対し前記懲戒処分をなしたことは正当であるというべく、右解雇が無効であることを前提とする債権者の本件仮処分申請は被保全権利を欠くものとして、その余の判断を加えるまでもなく理由のないことが明白である。
よつて、本件仮処分申請を却下することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 原田博司 浜田治 野口頼夫)